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2020-03-10

9年間

9年前は、こんな日だった。


あの日


私の父は、会津若松の出身だ。
しばらく会津には縁がなかったのだけど、
父が亡くなってから私は頻繁に会津に行くことになった。
それは母を連れていくという任務が私に課せられたからだ。

私には兄がいるのだけど兄も体調を崩してしまったので
母の付き添いは私が担当することになった。
よって、かなりの数、会津に出向いた。

昔は、父の田舎に行くときには電車で簡単にいけたような
気がしたのだけど現在は郡山から長距離バスで行くことが多かった。
非常に不思議な感じだった。
なぜなら、この土地に幼少の時ほとんど降りたことがなかったから。
通っていたはずなのに、知らない場所。

私は家族の仕事の関係で日本からシンガポールに転居した。
父の見舞いに行く度に息子は深夜便で熟睡できる小学生になった。
そして父が亡くなり、葬式、四十九日、1周忌。
その後は母の調子や私たちの用事も影響したので会津を訪れるのは変則的になった。

郡山駅からバスに乗って、高速道路を走ると同じ県内なのに、明らかに景色が変わる。
流れる景色を見ながらいつもこの移動してる自分の存在を考える。

「父親の葬儀で日本に帰る」

息子がシンガポールで通っていた学校には日本人はほとんどいなかった。
なので、クラスメイトにとっては彼が「日本」だった。
小学校でも討論が多かったそうで、この時期になると地震の話題はよく出てきた。
父は1月に亡くなった。当時通っていた学校は1月から新学期のシステムだった。
新学期が始まってすぐ、私は学校に付き添い葬儀のために4日休むと伝えた。
行き先を伝えると、先生や子供たちの顔色が変わった。

息子はよく聞かれた「地震の時どうだったの」。
彼は何度も自分は東京にいたと話したけど、
でも彼らには聞こえていなかったようだ。
そりゃそうだ。インパクトのある地名が一回インプットされてしまったら、
そう簡単にはアップデートできない。

別に父の死は地震と全く関係がない。
そもそも墓があるだけで、福島には住んでいない。
でも、いくら説明してももう相手には届かなかった。

彼らはまるで私を戦争からの逃亡者のような目で見つめた。
そして「何かできることがあったら言って」と言う。

いや、だから。。。


もういいや。


葬儀関係で会津に行くたび、お寺さんとは色々な話をした。
最初は私は黙っていればよかったが、
後半は私が中心人物になってたので色々な話をした。
おそらく母と来るのは最後ではと思われる春、
息子と母が先に玄関を出た後、住職さんに


「お父さんもおばあちゃんも本当に喜んでると思いますよ。遠くからありがとう」


と言われてその時は泣き崩れてしまったことを思い出す。
会津は山間部なので地震の被害はあったけど
それ以外についてはかなり改善がされている。
でも色々な感情を持つひとがいて、まだいろいろ大変で。。
と言う話を聞く度に

「人は自分の世界からしか、外を見ていない」

と改めて思い知らされる。


こんな経験を繰り返すと、
「人は個人の歴史を都合のいい部分しか覚えていない」
と学ぶことができる。
それは地震だけじゃない。
今回のコロナウイルスに関する騒動でもそれを思い知らされることが多かった。
私はもう驚かない。人はそれぞれの世界の中で、それぞれのルールで生きている。


また3月11日がやってくる。
私はここ数年。3月11日の午後、いつ黙祷したらいいか、いつも混乱する。
時差があるとわからなくなってしまうのだ。
そして9年という年月が経つと人は思いを自分の中で自己確変していくこと、
そして他人はその人の自己確変を受け入れないと
とてもじゃないけどやっていけないとやっていけないことも、
わかってきた。



誰かに「わかってもらおう」とか思うことは、傷つく勇気が必要。
私にはもうそんな勇気は残っていない。
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