2016-11-02
子供と美術鑑賞の記事を読んで自分の葬式について考えた

こんな記事がTwitterで流れてきました。
子連れ美術館をあきらめないためには ママが行う3つの事前準備
私はずっと子連れ鑑賞を諦めないで
結局10年が経ちました。
諦めなかった理由は簡単です。
他に選択肢がなかったからです。
預け先もなかったし
預けるために有料施設を使う手段もなかったし
そして友達も極端に少なかったし(今も少ない)
私は美術館に行くなら子供と一緒に行くしかなかった。
そして他に行く場所がなかったら
諦めるわけにはいかなかった。
なので当時はめっちゃ努力しました。
2009-05-21
「子供と一緒に美術館を楽しむコツを教えて下さい」
2009年の記事です。
おそらく子連れ鑑賞の指南の記事で一番古いのではないかな。
思い入れが激しい故
美術鑑賞や演劇鑑賞において「子供連れがダメなら預ければ」
という記事には心理的にどうしてもすっきりしないのです。
預ける事が選択肢にある人、抵抗がない人は
最初から子供連れで行こうとか思うはずがないと
経験上感じてしまうからだと思います。
預け先でまたアートな体験が出来る場合が増えてきましたが
それはとってもいいと思います。
あとでお互いどうだったかとか報告しあったりして。
でもただ預かるってのはちょとやっぱり私には無理です。
私は環境上預ける人がいなかった&友達もいなかったと同時に
ぼっちメインの人生だったので
「一人で楽しむこと」の楽しさをどうしても教えたかったというのもあります。
いや、行ってもらっていたというのが正しいかもしれません。
その楽しみを覚えたらもっと強く優しくなれるから。
息子は
「僕のお母さんは本当に友達もいないし、
変わりものだからこれくらい付き合ってやるか」
と本能的に思ってくれた気がする。
私は最初は赤子に憐れみを持たれていたと思います。
でも、そうやって美術館に通うようになって
彼は自分で楽しみを見つけるようになります。
そして作家さんと交流を始め、
写真などで自分で表現を始めるようになってからは
息子にとって美術館は「自分が楽しい場所」に
変わった気がします。
英語キャプションは私より全然読めるし
アーティストと英語で会話も私より全然出来るwww
羨ましい限りです。
私には夢があります。
息子が将来、私とは別の国に暮らしたり、
または私が動けなくなったりしたら
息子に美術展の批評や写真を送ってほしいのです。
私はそれが今から楽しみで仕方がない。
ずっとずっと送ってほしい。
そして
私は自分が死んだら棺桶に
親子鑑賞の記録と息子自身の書評の束を抱えて入るのが夢です。
書評が息子と嫁と孫の書評が入り乱れてたりしたら
もう成仏間違いないですね。
私のことなんて1ミリも触れてもらってなくていいので。
そして通夜であの展示がどーだこーだとかみんなでワイワイやってほしいです。
そして各それぞれがふと
「ああお母さんと見に行ったなあ」とか
「お義母さんとも見たわ」とか
「おばあちゃんと見たなあ」って
息子や嫁や孫がそれぞれふっと思い出して
そしてすぐに忘れてくれたらもうそれ以上何もいりません。
親子鑑賞から自分の葬式の話になってしまいました。
私にはつながっているのです。
この芸術と共に共有した体験が
歴史を紡ぐ体験につながると思うのです。
私は自分の葬式をより楽しくするために
親子鑑賞してるのかと先ほど気がつきました。
また、美術館に行こうと思います。
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