2013-10-19

ギャラリー椿「尾関立子「The Doll's House 」」を観てきました。


ギャラリー椿にて

「尾関立子「The Doll's House 」」

を観てきました。




明日から旅に出ます。法事なんです。
法事で親の故郷に向かう時
私はいつも1つの出来事を思い出します。



まだ3人家族になる前、旦那と二人で父、祖母が住んでいた
場所を旅行したことがありました。
祖母が住んでいた家の側まで来たので
せっかくだからその場所を探してみることにしました。
もちろん探すのは私ひとり。当然です。
私しか分からないのだから。

地図も何度も確認しましたが
なかなかピンと来ません。
外の空気や古そうな建造物を
チェックしまくって結局
40分程かかって当時祖母が住んでいた家の跡地を
見つけることが出来ました。
駐車場になっていました。


あらら。


と思っていたら
私はひとりの女性の視線に気づきました。
話をきいてみると当時祖母の家の隣に住んでいた人とのこと!
その時はお嫁に来たばかりだったそうなんですが
今はお嫁さんを迎えるほうになっていました。



その方は私たちをお茶に招いて下さいました。
居間では懐かしい話が。。と言いたいのですが
実は私は話が全く分かりませんでした。
それもそのはず。
幼少期に時々訪れていた場所で
今、面識のパーツも思い出せない人と話しても
正直全く浮かんでこないんです。
状況が状況だったのでうなずいてはいましたが。。


しかしおばあさまは
私を観て沢山の思い出話を聞かせてくれました。
私はその話というか声の音が
何か記憶に結びつかないか必死に探していました。






(作品の撮影、掲載は主催者側の許可を事前に頂いております)

なんでこんな話をつらつらと書いたかというと
尾崎さんは自分の作品について
「私の作品の一貫したテーマは、母の残していった衣類」
とコメントされていたからです。



残された人間が残されたものに感じる想い。
残されたモノを観て出てくる想い。



この2つは同じようにも見えますが
実は大きな違いがあると想うのです。

ここで描かれている「Dall House」には
長い年月を経て再び現れた印象を受けます。
そして複数の人間が
人形を目の前にして語られているのですが

全くもって
話がすれ違っているような印象を感じます。


同じ時間を共有していたはずなのに
同じことを感じることは決して無い。
後から振り返るのなら、尚更。




週末に「家族で法事」だから気づけた
「残されたモノ」と「残されたヒト」。



時の流れや
残されたモノ、残して先にいってしまったモノについて
深く考えることが出来ました。




10月26日迄。
月曜、祭日休廊です。
スポンサーサイト

theme : 美術館・博物館 展示めぐり。
genre : 学問・文化・芸術

comment

管理者にだけメッセージを送る

アクセスカウンター
カウンター
プロフィール

seina

Author:seina
FC2ブログへようこそ!

最近の記事
検索フォーム
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
Blogram
blogram投票ボタン
カテゴリー
小さな天気予報

-天気予報コム- -FC2-
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

QRコード
QR
ブログ内検索
RSSフィード
リンク