2012-03-13
東京国立近代美術館「ジャクソン・ポロック 「生誕100周年展」」を観てきました。

東京国立近代美術館にて
「ジャクソン・ポロック 「生誕100周年展」」
を観てきました。
卒園シーズンなので年中児は暇です。サッカーはいつも午後からだし。
では休みを利用して「ジャクソン・ポロック 「生誕100周年展」」を母子で観に行くぞ!
と決めた前の日、息子にこんな話をしました。
私 「明日はサッカーの前に絵の具をばしゃーどしゃーびよーんって書く絵を観に行こうか。」
息子「なんか楽しそうだね!行くよ!」
道中もまるで踊る書道家のように
どんな絵なのか自分もやりたくなりそうだと
楽しみに踊りながら話していました。
そして久しぶりの近美に行き展覧会会場に入って
絵を見て行くとだんだん息子の顔つきが変わってきました。
そして
「なんか思ってたのと違う。。全然楽しそうじゃないねえ。。」
確かに。
私自身ポロック作品をまとめて見るのは初めてなのですが
ここまでなんか気持ちが重くなっていくとは予想外でした。
展覧会の構成は下記の通りです。
第1章 1930-1941年:初期「自己を探し求めて」
第2章 1942-1946年:形成期「モダンアートへの参入」
第3章 1947-1950年:成熟期「革新の時」
第4章 1951-1956年:後期・晩期「苦悩の中で」
どのカテゴリーも気が休まらないのです。
苦悩の空気が溢れている。
ポロック自身が常に抑圧され、悩み、苦悩していたことを
感じ取ることが出来ます。
その苦悩の空気が傑作を産み出していることも確かなのですが
でもでも非常に重い。
途中絵を書いている状況の映像を見ていて
そのどんよりとした気持ちは最高潮に。
二人でなんかすごく重い気持ちになってしまいました。
息子は動いているポロックの姿を見て
「なんかすごく辛そうだよ。。大丈夫かなあ」
と心配そう。そして
「なんか書きながら逃げてるみたい」
と話していました。
描くことでしか数々の苦悩から逃げる方法を知らなかったポロック。
「新しい技法は次の日は新しくなくなる」ことを一番恐れていたのは
ポロック自身だったのではないでしょうか。
「インディアンレッドの地の壁画」
には全身で圧倒されてしまいました。
まるで迫ってくる波のような空気に息をすることを忘れてしまいます。
ちなみにこちらの「インディアンレッドの地の壁画」。
テヘラン現代美術館から外に出たことがない作品だそうです。
個人的にポロックの作品って
作品そのものを見るのも好きなんだけど
後ろの方で作品を見ている人を織り交ぜてみるのが
すごく好きなんです。
わかったふりしてふむふむ言ってる鑑賞者達に
ポロックさんがいきなり塗料缶持って駆け込んできて
みんなにぶっかけたら楽しいのに!とか思いながら見ると
なんかにやにやしちゃうんですよね。
大型作品がもっと見たかったです。
今のご時世難しいのかもしれないけど。
息子は展覧会最後の「緑、黒、黄褐色のコンポジション」を見て
「見た事ある!」と即答。そうです。DIC川村記念美術館で何度も観ています。
息子はこのように以前観た作品を覚えているようです。
連れて行くのが益々楽しくなりました。
ポロックという「ひとりの天才」の生き様を感じる事が出来る展覧会です。
自分の生命力を削って描き出した絵画の数々、必見です。

鑑賞後にアトリエが再現されていて写真撮影可能になっています。
広いんだなーとしみじみ。
息子に「書いてる真似してよー」とお願いしたら
「なんだか苦しくなりそうだから嫌だ」
と拒否されてしまいました。(^^;)
5月6日まで。原則月曜休館です。
休館日の詳細は公式ボームページで各自確認をお願い致します。
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theme : 美術館・博物館 展示めぐり。
genre : 学問・文化・芸術