2012-08-30
美術画廊X(日本橋高島屋6階)「『世界と孤独』vol.3 -私のあらわれ- 小沢裕子×村山悟郎」を観てきました。

美術画廊X(日本橋高島屋6階)にて
「『世界と孤独』vol.3 -私のあらわれ- 小沢裕子×村山悟郎」
を観てきました。
村山さんの作品にとても興味があるのと
この美術画廊Xという場所は百貨店画廊の中でも
とても先進的な姿勢であり続けているので
刺激的な空間が演出されているに違いない!
と思ったからです。
サッカーの練習前の息子と一緒に出かけました。
まずは小沢裕子さんの作品。
WEB上で入手した映像に、それとは無関係な字幕をつけた作品を拝見しました。
こういう映像を拝見すると
常に自分の中で文字との格闘が行われます。
無関係な字幕は概念として私に強い力で襲いかかってきます。
映像を観てる際に
ひらがなしか読めない息子はどう思うのか気になって聞いてみました。
すると
「下がウルサい」
とのこと。
読めないけど文字であることを認識してしまっているので
何か聞き取れない音が聞こえてくる様な感覚なのでしょうか。
映像情報が人格を【勝手に】形成
文字情報が情景を【勝手に】形成
こんな情報の交錯の中で
私たちは日々を生きている。
勝手に人格や情景は一人歩きし
「私」は置いていかれる。
そして「別の私」は遥か彼方。もう追いつけない。
この「もう追いつけない」この感覚が
今一番旬な「孤独」なのかなと考えてみたりしました。
そして村山悟郎さんの作品。
トレーシングペーパーの動きや写真の意志、
とても強い大きい情熱の強さがあり親子二人で見入ってしまったら、
スタッフさんから「性的表現につながるのでお子さんは。。。」とのアドバイスが。
ああそういえばそう言う話だったなと思ったのですが
外展示は大丈夫と私が判断しそのまま拝見。
そして応接間の作品について観ないで帰る訳にはいかないと思い
ちょうど居合わせた美術関係の友人にお願いして
彼に息子を託して応接室の作品を見せて頂くことにしました。
内容に関してはここでは伏せますが
私はこの「展示方法」とてもギラギラしてて刺激的でした。
「タスクをこなさないとたどり着けない作品」
という状況で作品説明と展示方法決定の経緯を
画廊の方に伺いながら
作品に向き合うというのは
観ては行けないと定義されたものをこっそり見る、
そしてその行為を見られている
という刺激的な体験を他人の目に晒していることになります。
その行為そのものをだけを掘り下げようとしていくと
今そのにいる自分とその自分をみている自分が
分割されていく感覚を味わうことが出来ます。
この自分の分割により感じる感覚こそ現代の「孤独」ではないかと思いました。
お互いの話し合いで産まれたこの鑑賞への道のり。
この道のりが私は作品をとても際立たせていると感じました。
ちなみに息子さんはずっと外で待機。
「あの中なあに?なあに?」としつこい。。。。
息子と一緒に待っていてくれた友人に感謝です。
ありがとうございます。
9月17日(月・祝)まで。
無休です。20:00まで開廊しています。
theme : 美術館・博物館 展示めぐり。
genre : 学問・文化・芸術