2010-09-08
ギャルリー東京ユマニテ「菊池伶司展」を観てきました。

ギャルリー東京ユマニテにて
「菊池伶司展」
を観てきました。
幼稚園が始まり空は若干秋の気配を感じることも多いっていうのに・・あぢいです。
明け方起床して家事を全部済ませそこで着替えて息子を幼稚園に送って
幼稚園から1駅離れた無料駐輪場に自転車を置いて
銀座や京橋を回るにはちょとこの暑さは酷過ぎです。
でもどうしても最初に観たかったので「菊池伶司展」に足を運びました。
以前伺った祭に頂いたリーフレットがものすごく心に残っていました。
はがきに収まるサイズからあふれ出るような情熱。
この情熱とぜひ向き合ってみたかったのです。
経歴も気になります。
大学では美術研究会に入りそこで銅版画に出会い
銅版画に専念するため大学を中退したそうです。
病魔と追いかけっこをするかのようにそして猛烈な勢いで制作し
22歳でこの世を去ったそうです。
彼が駆け抜けている時「銅版画」は彼にとってどんな存在だったのかな。
家族は彼と銅版画の関係をどんな風にみていたのかな。
表現として気になったポイントは3点ありました。
★写真の撮影、掲載は主催者の許可を頂いております。
【実際観ることをオススメします。熱い伝えたい気持ちが伝わると思います】

1点目は医学的要素らしい絵画のそばにびっしりを書かれた
さまざまな・・・・言葉??
じっと見たけど正直読めません。
「???」と思いボスに「こちらはラテン語か何かですか?」と聞いてみました。
すると
「これは言葉にならない言葉なんだよ」とのお返事が。
この「言葉にならない言葉」を意識していくと
配置や動きがものすごく気になってきます。息子が以前まだひらがなが全く読めない頃
書の展覧会で配置や動きをものすごくしっかり観ていたことがあったのですが
もしかしてこんな風に観てたのかな。って感じました。
そして「言葉にならない言葉」は熱い感情になって観ている鑑賞者側に
強く強く想いをぶつけてきます。
話したいことが沢山あるのに何から話していいのかわからなくなって
ものすごく早口になって結局何を言ってるのか分からなくなってしまう・・。
とても早口の方だったのかしらなんて想像しました。

2点目に気になったのは「手」。
手を表現した作品が数多くありました。
しかも手ではなく「手手手手手手手手。。。」って感じの表現です。
手というのは
ものすごくその人のアイデンティティを示していると思います。
指紋なんてものはまさに究極のアイデンティティですよね。
その自己を連続して表現するという手法に
「僕はここにいたんだよ!!!!分かってる?いたんだよ!」
というような明確な主張。

最後の3点目は「ドア」です。
2つ目の「自己存在の主張」がなぜ過去形なのか。
それはこの「ドア」に強い「仕切り」を感じたからです。
自分の今の場所と明確に仕切られた場所に自分は逝く。逝く覚悟は出来ている。
という心情を強く感じました。
とても想いのつまった作品達。
1つ1つをじっくりと眺めることが出来ました。
(ひとりで観に来たというのもありますが・・・)
9月9日にはこの会場の中で詩の朗読会も行われるそうです。
「言葉にならない言葉が持つ情熱」に
「言葉で情熱を表す詩」がどのようにコラボレーションするのでしょうか。
どんなダンスになるのかな。もしかして異種格闘技っぽくなるのかな。
気になります。
18:30 開場 19:00-開演(約1時間) だそうです。
詳しくはこちらをご覧下さい。→★
9月18日まで。
日曜休廊です。【月曜開廊しています!】
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theme : 美術館・博物館 展示めぐり。
genre : 学問・文化・芸術